ともに前へ 〜100年の誇り、未来への絆〜

ともに前へ 〜100年の誇り、未来への絆〜
ともに前へ 〜100年の誇り、未来への絆〜ともに前へ 〜100年の誇り、未来への絆〜

ご挨拶

「これからの100年」を創造するため
森山 (清) 組は挑戦を続けます

「これからの100年」を
創造するため森山 (清) 組
は挑戦を続けます

100周年という節目にあたり、改めて弊社を見直すよい機会を得ることができました。社員の仕事に対する誇りや世代職種を問わず、のびのびと切磋琢磨できる社内環境など、森山(清)組の強みを再確認し大変心強く思った次第です。脈々と受け継がれてきたよき文化・社風を生かし伸ばし、一方で時代に合わせて変化しながら「これからの100年」を見据えた経営に取り組んでいこうと決意を新たにいたしました。

過去、現在と会社を支えてきてくださった関係者の皆様、社員の皆さんに心より感謝申し上げます。私たちの仕事は社会インフラの構築・維持だけでなく、災害復旧においても大きな役割を担っています。

これからの安全・安心な地域社会づくりに欠かせない存在であり、実際、海外では「CIVILENGINEER」として社会的に高く評価されているのです。

だからこそ、次世代を担う人たちにこの仕事の価値を正しく伝え、業界のイメージアップと人材育成を図りたい、決して弊社だけではなし得ることはできませんが、若手が成長・活躍できる職場づくりや労働環境改善等に積極的に取り組み、未来を創造できる企業でありたいと考えています。

100周年という節目を迎えましたが森山(清)組はまだこれからです。次世代につなぐため、成長を続けるために挑戦を続けていく所存です。

社員の皆さん、関係するすべての方々にご協力を賜りたいと思います。ご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

株式会社森山(清)組
代表取締役社長 森山 崇

100周年記念動画

100周年のあゆみ

大正

創業

社名の由来でもある創業者 森山清太郎 が大正10年3月、23歳のとき「森山組」として創業したのが始まりです。
大正13年に、会社のそばに架かる唐湊橋を建設するなど、工事量は着実に増加していきましたが、昭和20年の鹿児島大空襲により、再出発を余儀なくされました。戦後は県内各地の復興にあたり、会社の再建を図りました。

法人設立

昭和29年6月、株式会社森山(清)組を設立し、初代社長に 森山房雄 が就任しました。従業員約20名でのスタートです。
昭和32年には最初の営業所である屋久島営業所を開設、昭和35年には福岡営業所を開設し、建設業の登録を大臣登録に変更しました。

昭和

当初の受注はコンクリート舗装工事がメインでしたが、昭和39年、鹿児島県発注の南港しゅんせつ工事を足掛かりとして港湾工事に参入しました。
昭和40年代にはアスファルト舗装工事に対応するため、春山プラント、屋久島プラントを相次いで操業開始。作業の効率化を図るために、鹿児島県内で初のグレーダーを導入しました。

新社屋

昭和57年、念願であった本社ビルの建設に着手、翌年11月に完成しました。

平成

安全協議会の設立やISOの取得など、社内体制の整備が進みました。
平成12年には唐湊橋の架け替え工事を受注。大正13年の架設以来、はじめての出来事でした。
業績は順調に推移し、鹿児島中央駅の地下通路やマリンポートの整備をはじめ、ダムやトンネル工事など、鹿児島の発展に尽力しました。

船舶

平成5年8月

平成5年の夏は断続的に雨が続きました。8月6日、鹿児島市ではまたたく間に甲突川、新川、稲荷川が氾濫し、一部の石橋が流出、市街地は広範囲にわたって浸水し、各地で土砂の崩落も発生しました。
森山(清)組は新川沿い、国道10号線およびJR日豊本線の竜ヶ水付近を担当し、昼夜を通して復旧作業を行いました。

令和

令和に入り社内体制が大きく変わりました。令和元年の吉留建設株式会社との合併では多くの仲間を迎え入れ、お互いの長所・強みを生かした企業文化が醸造されました。
そして令和2年8月には森山崇が六代目社長に就任、新たな森山(清)組がスタートしました。

令和3年3月

創業より100年を迎える